民主主義

だらだら。
テレビを点けたれば選挙戦報道真っ盛り。


日本復権を訴える右翼っぽいスローガンを掲げた
候補党もちらほらりん。
どんな時代の日本をどのように復権させたいんだか。
この国が美しかった時代なんてただの一瞬もありはせんよ。
具体性に欠ける空念仏だ。その上物言いが非常に暑苦しい。


かたや『戦争のできる国家造り』にひどく懸念を示し争点とする党も。
戦争をしないのと戦争ができないのとは話の次元が異なる。
国家価値に見合った戦争能力を保有する事は国家の責務。
戦争をする事が出来ない国家とは、不正の侵略に対し実際に
行使可能な正義を自前で有する事のない無責任な国家である。


幸いにして太平洋戦争終結ののち、我が国はただの一度も
戦争を行った事はない。
これは運良く正義を行使する機会に巡り会わなかったのと、
行使する正義そのものを持たなかった事にある。


近代国家において戦争とは正義を行使する事に他ならない。
我が国は敗戦と同時に正義を背負う事すらも放棄したに過ぎないのだ。


正義が保障されない国家など許されるはずもないのだが、
この国では国民への正義の負担はなにより嫌われる。




テレビコメンテイターが『選挙に参加しない人間には政治に文句を垂れる資格無し』
と語る。


選挙は国民が直接政治に参加する重要な機会であり、それは権利として
保障されねばならぬ。
なんとなれば民主国家の構成員たる国民が『市民』たりうるための義務でもある。
これは誰もが自覚する事だと思うが、
しかして『選挙不参加』とする人間が国政への不平を訴えてはならん
というのはいかがかとも思う。
国家を構成するに当たって絶対に欠かせない『納税者』という存在
は、民主選挙に関心・参加意思が無かろうが義務として納税を課せられる。
納税者はすべて、政治に対する個人主張を展開する権利があるはずだ。
もっともその主張を国政に反映させる制度はこの国には選挙以外にないので
まったくの空念仏なのだが。
政治に物申すのであれば選挙を通して個人の主張をすべしというのは
民主政治の根幹であり、この国はこの制度でまわり、なんとなれば
国民は選挙によってのみしか国政に参加する事が出来ない。
民主選挙に参加しなかった挙げ句に政体が民主主義を否定する極端な
傾向を示すものに変貌を遂げた時、その罪は政治への無関心に負わされる。



しかして国民は等しくモノを言う権利を持つ。
民主主義を否定するような国民であれ、納税している以上は
政治参加はせずとも国家運営に関与しているのである。


選挙に行かなかったという点でその発言に説得力が失われるか否かは
モノ言う人の弁次第。
発言するそのものを否定される事はあってはならぬ。
政治的熟考の上での棄権を行う人間もいない訳では無し。



とまあここまで書いてみて結局何が言いたいのか自分でもよく解らんくなったわ。
オイラとしてはテレビ報道の場で政治関心の薄い民主主義不参加者に対し
国政を語るなと言い放つ、正論故の高邁かつ高慢な物言いが
少々カンに障っただけの事。


『黙ってろ』というのは意思・主張への非常に無神経かつ暴力的否定だと思う。
もっとも世の中には本当にうんざりするような寝言を述べられる
方々が大変多く、往々にして『黙ってろ』と思うこともあるのだが。





ちなみにオイラ、無神経な純粋多数決で運営される現在の民主主義が
最良の政治体制だとは思っていない。
権利の保障をもって運営される民主主義によって踏みにじられた権利
というのも実に多いのではなかろうかと。
なんとなればナチスにおいても、これ民主主義によって選ばれ台頭したのだ。
多数の民意が正しい選択をするとは限らぬもの。
この話、ちょっと極端かしら。


万人が幸福にはなれぬ民主主義で最良の選択を迫られる国民の
思惑はどのような国を創り出すや。



学が無いので民主主義というものになんやら大きな錯誤認識が
あるのやもしらん。