復活する殺し屋たち

だらだらと『リプレイスメントキラーズ』をDVDで再検証。
香港ノワール期にみるチョウ・ユンファの勇姿を米国映画のスクリーンに移植した銃撃アクション映画。




監督はミュージッククリップ制作出身の黒人監督アントワ・フークワ。
本作以外にどんな作品を手掛けてるのかはよく知らん。
ブルース・ウイリス主演の特殊コマンドによる難民救出映画が確かこの監督の作だったと思う。
大して面白くもなかったように記憶している。



リプレイスメントキラーズ』は日本公開前から輸入版のLDを手に入れて、それこそ
当時は死ぬほど観た。
とにかくチョウ・ユンファの男前ぶりを存分に撮りきった、一種のアイドル映画として
大きくチョウ・ユンファに依存した映画だった。
共演のミラ・ソルヴィノは制作サイドが仕掛けた、ある意味『保険』としてのキャスティング。
スタジオ側のチョウ・ユンファという商品への信頼度はそれほど高くなかった事がうかがえる。



またこの映画はジョン・ウーの文法にも大きく依存しており、いま観返すとこの映画の魅力とは
この「ジョン・ウー×チョウ・ユンファ」という2点セットのみなのかという疑問が湧く。
映画全体のスタイルも決して悪くないと思うし端々の演出も気が利いてて嫌いじゃない。
どちらかといえば好物で埋め尽くされた作品だ。
しかして2006年の今、この映画になにかしらかの「欠落」を感じてしまうのは何故か?


男たちの挽歌』から始まり『フェイス/オフ』に至る一連のジョン・ウー香港ノワール系映画は
いまなお観る度に鮮烈だが、何故か『リプレイスメントキラーズ』だけは年を経るごとに
色が褪せていっているような感じがする。
なんでそのように感じてしまうのか。正直解らない。



監督自身によるオーディオ・コメンタリーを、冒頭とラストの30分ずつ聴く。
画面についての解説はほとんどしない。現場とスタジオサイドとの齟齬について語ったり。
大して面白い内容にあらず。
ひょっとしたら銃撃アクションそのものにあまり拘りも興味をなく、ただ見栄えの良い画造り
だけを考えていたのかも知らん。


ジョン・ウーはこの映画に否定的コメントを出していたりもする。



チョウ・ユンファのプロモとしてこの作品は成功だったかもしらん。
しかし映画としてはたしてどうだったのか。解らんトコロよ。
「時代のモノ」だったのかもしらん。
その時代でしかその価値を発揮しないモノというのは確かに存在する。
時代の先端に乗る『流行』が持つ持続性の無さ。これも潮流を読み動員に反映させる商売の宿命かも。



ちなみにチョウ・ユンファ座右の銘は『宿命(もしくは天命か)/Fate』である。
時代はフェイト。
そのウチセイヴァ―たちにオタクたちが眼を向けなくなる時も来るのだろう。
オタクの嗜好の変化は一本の映画が退色するよりもはるかに速い。
その時代が過ぎれば、オタクはその価値を一切切り捨てる。
それは『愛』ではなく、ただの『消費』に過ぎない。




愛されるモノを造る。「映画」にしても「萌え」にしても、これはとても難しい事よ。
流行の嗜好、消費に合わせたモノ造りが間違いであるとは言いきれない。
商売として成立させてこその商品だ。
それに乗るか乗らないか、商品を選択する客の質にこそ大きな意味があるのではないだろか。




リプレイスメントキラーズ』は、「消費」されるためだけの映画だったのか。
解らない。