アンジェラ・アキ症候群

どうしても初回特典DVD付きのCDが欲しい。


こういうのってどこに行けば手に入るモンなんだろうか?
秋葉原に行けばポロリと売ってたりしないだろうか。



昼からでもポロリとアンジェラ探しに出掛けようかしら。



とりあえず寝る。
あーもうアンジェラ。



昼。
雨。
出掛けるのも面倒。寝て過ごす。




夜。
宮崎駿監督の『ハウルの動く城』を眺める。
番組冒頭ではジブリの悪のKGB長官鈴木敏夫が「ゲド戦記」をPR。
アニメ制作経験のない宮崎監督の実子を担ぎ出しての、
『宮崎』の名を継承すべく行われる『親殺し』。


考え過ぎかしら。



眺めたる『ハウル』。初めて観たけどなかなかに愉しめたカラクリ映画。
『食い物』を見せる事に関してはやはりダントツに巧い監督だけど、
ハウル』は久々に『少女』の魅力も存分にみせた。
ほとんどのシーンで老人と化していたソフィーだったけど、久々にエロスを醸す
見事な宮崎ヒロインぶり。声は猪木の元嫁のお姉さん。
世間はどう見てるか知らないけど、オイラは宮崎駿監督の描くヒロインには
セクシャルなものを滲ませてくれる事を常に期待している。
清純と官能は一体であり、どちらかが欠落していても『女性』という
キャラクターは魅力を完全には獲得し得ない。
監督の代表的キャラクター『ナウシカ』はその究極。
お姫様の清純なルックスと、セックスを予感させる肉感的なそのデザイン。
この両立があってこそのナウシカだと思っている。
セックスアピールはキャラクターの圧倒的な存在を確立させる重要な構成要因なのだ。




そしてこのキャラクターの『性』に対する拘りの差こそが、押井守監督と宮崎駿監督の決定的な差
となっている。
ようやくながら押井監督も『女』を撮るという事に肯定的になってきているが、
それでも宮崎監督の解り易いヒロイン造形に比べれば、はるかに解り難く、湾曲している。
本能的に女性をイメージできる宮崎監督に対し、押井監督が女性を理解する過程には
非常に精密かつ合理的なロジックを必要とする。
本来理屈を必要としないセックスアピールも、監督にとっては多くのロジックが費やされねば
ならない。



この2大監督の作品抗争において語られるべきは、このセックスの『存在』と『不在』だと思っている。




そんな二人の狂犬監督。オイラが心から望むのは、この二人が『戦争』映画を撮る事。




番組中には視聴者獲得策のキーワードクイズが敷設されており、『○○○』の3つの空白を埋めるというもので
最初の空白に『ハ』が埋まったのを見るや、正解はてっきり『ハヤオ』だと思ったがどうも違ったみたいだ。





深夜。
ゴッドファーザーPARTⅢ』。